【コラム④】「18年前の挫折」

【コラム④】「18年前の挫折」2013/1/26(土)第77号メルマガより



先週、全国高校サッカー選手権大会が鵬翔高校(宮崎)の初優勝で無事閉幕されました。

若さあふれる選手が、目標のためにすべてを投げうって賭けるだけの価値を持つ、夢の大会。

そして、そんな選手たちの姿をロートルサッカー選手の僕は、毎年楽しみにしています。 
 
ただ、毎年彼らの活躍を心待ちにしながら、一方で、心のどこかに引っかかるものがあるのも事実です。

理由ははっきりしています。

18年前、高校1年生だった時のひ弱な自分を思い出すからです。

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小学3年生からサッカーを始めた僕にとって、「全国高校サッカー選手権大会」は憧れの舞台でした。

「こんなところで試合ができたら死んでもいいな」

本気でそう考えながら、ボールを追いかけていました。

ところが、中学生にもなってくると、徐々に現実が見え始めてきて、「自分よりも何倍もうまいやつがいて、本当に自分はあの大会に出られるのだろうか」なんていう弱気の虫が生まれてきました。

それでも、簡単に諦めることはできず、高校受験ではそれなりにサッカーが強そうな高校を受験し、そのうちの1校に無事入学。

高校1年の春、サッカー部の門を叩いたのです。

しかし、1ヵ月もしないうちに、僕はそのサッカー部から姿を消しました。

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仮入部員が100名ほどいる中、サッカー部のグラウンドの広さでは、それだけの人数の受け入れは不可能。

おのずと先輩による振るい落としが始まります。

新人にはきついランニングが毎日課せられる。

昼休みは、コートを囲んでひたすら先輩のミニゲームのボール拾い。

一人、また一人と顔を出さないメンバーが増えてきます。

僕自身、何度もくじけそうになりましたが、小学校からの目標を失いたくない一心でなんとか食い下がっていました。

ところが、そんな僕に、先輩たちから容赦ない追撃が待っていました。

「終業時間が遅れ、練習に遅刻した数人のうち、僕だけが執拗に詰問を加えられ、練習させてもらえない」
「道具の不備(Tシャツに書き込んだ名前の書き方が指示された方法と異なっていた)を
1〜3年生の全メンバーの前で指摘され、笑いものにされる」
「キャプテンに毎日のように、『お前は来るな!』と追い返される」

今思えば、僕の態度は先輩たちに対して好戦的だったかもしれませんし、上記のような目にあったのは僕だけではなかったかもしれません。

ただ、あの時の僕は、たとえ小さな頃からの目標のためとはいえ、それ以上あの環境にいることに耐えられなかった。

「もういいや。辞めよう……」

そう決めた翌日。いつも抱えていたスパイクを持っていくのをやめ、一緒に部活に行っていたクラスメイトにこう告げました。

「俺、今日からもう行かないから。頑張ってね」

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それから数か月間、何を思っていたか今では覚えていません。

とにかく、サッカーから離れ、趣味や自由時間にあけくれていたと思います(不良にはなっていません(笑)。念のため)。

昼休みや放課後、サッカーボールを追っているメンバーからは無意識に目をそらすようになっていました。

そして、いつしかあの時の自分の決断に深く向き合うこともなくなり、社会人になっていきました。

「俺は悪くない。あんな環境じゃ、どうせ楽しくサッカーできなかったし」

これが最近までの僕の精いっぱいの言い訳でした。 

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高校1年生の後半から地域のサッカークラブに入り、30過ぎまでボールを蹴っていました。

クラブは東京都社会人リーグに所属し、社会人になっても週4回の練習をこなしたり、全国大会出場経験者やJリーグの下部組織出身者と優勝の喜びを分かち合ったりしました。

ある程度の満足感を持ってはいますが、それでも18年前のことを振り返ると、未だ何とも言えない気持ちになるのです。

そして、その原因はきっと、「サッカーに対する」というよりも、「自分が飛び込んだ環境から理由はともかく逃げ出してしまったということに対する」悔しさなのだということが、コラムを書いていてはっきりしてきました。

そして、今の僕が、どんな些細で、周囲から見て取るに足らないことでも、「とにかく続ける」と決めているのも、18年前のことが理由であることに違いないのだということも。

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結果は僕にとってそれほど重要ではありません。

全力で目指して駄目だったとしてもそれは仕方がないことだ、と割り切れてきました。

反面、全力を出さなかったことや出す前に心が折れてしまったことはずっと胸にしこりとして残っています。

「人間の真の価値は、本当に苦しい時にこそ問われる」

3.11でそのことを痛いほど目の当たりにしました。

昨日まで笑い合っていた家族を5人も亡くし、息子とたった2人になっても夢を持って子育てに励むお父さん。

心血を注いだ会社をなくしたにもかかわらず、これまで抱えていたローンの倍のローンを抱えてでも再建を決断した経営者。

自分を残して家族がみんな旅立ってしまっても、「とにかく生き続ける」と決めた年配の女性。

そんな状況がもしいつか僕の身に起こったとき、僕はまた、18年前のように逃げ出してしまうのか。

それとも、格好悪くてもいいから、前に進むことができるのか。

僕が受けたものの何百倍も理不尽な仕打ちにも負けず、心が折れそうになっても、前を向いて歩いている人たちから僕は本当に多くのことを学びました。

今回、この紙面を借りてこれまで封印していた想いを綴ることができたのも、こうした学びがあったからこそです。

一日一日の苦しいこと、つらいことから目をそむけず、これからも過ごしていきたいと思います。

「あの時の挫折のおかげで、今がある」

いつか、高校サッカーを観ながら、そんな風に思える日が来るまで……。

(了)