【コラム③】「最近、僕はあるものを捨てました」

【コラム③】「最近、僕はあるものを捨てました」2012/9/8(土)第58号メルマガより



先月、興味深い書籍を2冊読みました。

一つが、昨年末発刊された、『下山の思想』(五木寛之著、幻冬舎新書)。

もう一つが、先々月発刊された『倉本聰の姿勢』(エフジー武蔵刊)。

前者は、実家からもらったもの、後者は、僕が愛してやまない「北の国から」の脚本家である倉本聰さんの原点に触れてみたいという思いから購入したものです。

その中で奇しくも共通していた内容が書かれていて、どうしてもここで紹介したくなったので、今日は僕の所感を述べさせてください。

その共通点とは、僕たちが今、2つの道の選択の岐路にあるということ。

まずは五木さんのご意見から。

「いま私たちは、復興をめざして起ちあがろうとしている。その気運に水をさす気はない。転んだら起きなければならないのである。

『がんばれ、日本』という声も周囲にみちている。しかし、どこをめざして、どうがんばるのか。それは決して単なる復旧ではないだろう。

かつてのGDP世界第2位の経済大国を再興するのか。それとも、あえて小国への道を選ぶのか。

私はそれに対して、はっきりした答えを出す自信はない。

わかっていることは、今が下山の途中だったということだけだ」

(引用:『下山の思想』) 


要するに、日本は経済大国として登山を終え、すでに下山の段階に来ており、そこに大震災が降りかかったことで、いやがおうでも選択を迫られているということです。

また、倉本さんの記述は次の通り。

「我々はこの不幸な大事故後の人間生活のありかたについて、大きな岐路に立たされている。

一つの道は、これまで通り、経済優先の便利にしてリッチな社会を望む道である。

その場合これまでの夜の光量、スピード、奔放なエネルギーの使用を求めることになるから、現状では原発に頼らざるを得ない。

その場合、再び今回同様の、もしかしたらそれ以上の、想定外の事故に遭遇する可能性がある。その時に対する『覚悟』があるか。

もう一つの道は、今を反省し、現在享受している便利さを捨てて、多少過去へと戻る道である。

この場合、今の経済は明らかに疲弊し、日本は世界での位置を下げる。

そうしたことを認識した上で、今ある便利さを、捨てる『覚悟』があるか」

(引用:『倉本聰の姿勢』)

倉本さんの場合、選択肢が、原発に頼る生活をとるか、頼らない生活をとるかという個人ベースで書かれていますが、言わんとしていることは五木さんと同じことです。

では、僕たちは今、どちらに向かおうとしているのでしょうか。

今日(9月5日)の読売新聞によれば、民主党のエネルギー・環境調査会が、「原発ゼロ社会を目指し、国民の理解と協力のもとで、新たなエネルギー社会をつくりだす」とうたったそうですが、それに対する政府内や党内には反対論も根強い、と書かれています。

すでに何ヵ月も、安全面重視からの観点、経済成長重視からの観点が綱引きを続けているものの、国は依然としてはっきりとした指針を打ち出しきれていません。

個人・法人それぞれの利害を考慮することは確かに重要かもしれません。しかし、すべての利害を一致させることなど不可能です。

まずは、「原発をゼロにすべきか、しないべきか」よりも、「日本を今後どんな国にしていくのか」「世界の中で今後どのような役割を担っていくのか」を議論していくことが本来の姿ではないでしょうか。

そこがきちんと話し合われないままでは、「原発問題」も「復興施策」も「社会保障」の問題も、恐らく今以上のスピードで進むことはないと思います(目的地が明確でないわけですから当然です)。

そんな状況を憂い、僕自身も、

「国が具体的な方針を示してくれないと、僕らも身動きがとれないですよね……」

なんていう言葉を口にするようになっていました。

しかし、先月、同じような話題について知人と議論をしていたとき、ふと気づいたのです。

自分のスタンスが無意識のうちに「他力」になっていたことを。

自分の意見があるようでいて、意思を持って動いているようでいて、実は、心のどこかで誰かが明確な指針をくれるのを待っていたんです。

「豊かさを享受するためにもグローバルに闘って経済成長しなければ」 
という流れになれば、その流れに便乗しようとし、
「原発をゼロにするので、身の丈に合った生活をしていこう」
という流れになれば、そちらに流れていける準備もしておく。

この1年、僕は完全に「ニュートラル」でした。

それも明確な意思のないニュートラル……。

安定した雇用を捨て、被災地に向かう知人を見ては自分のふがいなさを嘆き、一方で、寝食忘れてビジネスシーンでキャリアアップを目指している知人を見ては羨望のまなざしを向けていました。

「家族がいるから自分は無理はできない」
「自分にはそれほどの能力がない」
という言い訳をし、どちらかを「選択する」こと、いや、どちらかを「捨てる」ことを先延ばしにしてきたように思います。

いろいろ考えた結果、僕は腹をくくりました。

「経済的な豊かさ」を追い求める自分を捨てます。

五木さんの言葉を借りれば、「小国の道」。倉本さんの言葉を借りれば、
「今を反省し、現在享受している便利さを捨てて、多少過去へと戻る道」です。

国に方針を決めてもらうのではなく、まずは自分から動き出すことにします。

「できるだけ電気に頼らない生活をする」
「新しいものを買うのではなく、今ある資源を大切に使う」
「お金ではなく、知恵で豊かさを生み出す」
「『競争』ではなく、『支え合い』の姿勢を持ち続ける」

など、小さいことからならいくらでもできる。

将来のことは分かりませんが、まずは自分の決めた道を進んでみます。

もし僕の行動がここまで書いたスタンスとぶれていたら、厳しく指摘してくださいね!

最後に倉本さんの言葉をお借りして、この文章を締めたいと思います。

「目標というものがなかった気がする。哲学というものが欠けていた気がする。ゴールのないマラソンを走っていた気がする。

我々は今、いったん立ち止まり、既にとっくに駆け抜けてしまったゴールの情景を探すべきではないのか」
(引用:『倉本聰の姿勢』)

では、今週はここまでにします。

長文お付き合いいただき、ありがとうございました。

(了)